北ガレ
小 説
ミ ス テ リ ー
北ガレは「ワイド」だ。 つまり幅が広いと言うこと。
ジャンルが不明になってきたけど、作者のわがままで何とでもなる。
商売じゃないのでこれでいい。・・・、と言いながら少し不安。
<北ガレ ミステリー>は小説だけでなく、先延ばしになっている<東北 ミステリー>も。
心霊スポット とか、幽霊屋敷 とか、そんなのは無い。
もっと歴史的な、若干の根拠のある、「たぶんそんなことはないだろうけど、信じてみたい」、「そうだったら面白い」「ひょっとして」というような、東北のもう一つの歴史を書いていきます。
勿論、ミステリー小説を中心として、作家や小説の面白さを書いていきます。
「近頃本を読む人が少なくなった」と言われるが、読まないからどうと言うこともないので、それはそれでいいと思う。
「近頃廃油ストーブを作る人が少なくなった」から「嘆かわしい」とは言わないので。
かつて、<活字>と言えば<本>の事だったけど、今は<パソコン>で文章を読むことが多くなった。
<本>で読むと理解出来るのに、<パソコン>で読むと理解出来ない、と言う人は意外と多い。
PCの画面で長文を読むことはあまり無いけど、、文章を打つことは結構ある。
作家でもPCで文章を打つ人が多くなってきたようですが、PCの画面で全部を読むことは少ない無いと思う。
要するに入力するものであって、読むものでは無い。
PCは処理をするもので、そのものが<完成品>ではない。
原稿や、書類・数値などのデータを処理作成する
完成品は<本>になったり、書類になったりする。
作家選び・作品選び
こんな事は無いでしょうか。
例えば、ある店に入ったときにあまりにお客様が少ないので「この店やっていけるだろうか?」
また、ドラマや映画を見たときに、役者の熱演やストーリーよりも、不自然なシチュエーションや理論的でない事がやたらと気になる時がありませんか?
映画<○猿>で、もうまもなく船が沈みそうなときに「彼女と電話で長話してるんじゃねーよ!」とか、死にそうなくらい疲労してるのに場面が変わると普通に潜水してるとか。
ところが、好きなタレントだと気にならない。
作家にもよりますが、小説は下積みの情報を得てから文章にしているものが多い。
<司馬遼太郎>、<高木あきみつ>といった作家は歴史にも非常に造詣が深い。
<高橋克彦><宮部みゆき>は時代物から伝奇小説と非常に幅が広く、しかも質が高い。
<高橋克彦>は「浮世絵」では日本でも第一人者と言われるほど造詣が深い。有名な作品では大河ドラマにもなった、「炎立つ」や「時宗」の作家である。
面白い本(小説)とはどういう本か。
第一条件として「筆力」があること、
筆力とは「伝える力」。
頭で10考えたとすると、言葉で表現出来るのは4、さらに文字にすると2、と言われる。それほど文章で伝えるのは難しいと言うこと。
筆力はこのこと。
<川田○一郎>のような、筆力の無い作家の本を読むと最後まで読み切れないし、後悔してしまう。とても売り物になるようなものではない。
だから、自分好みの作家の本ばかり読んでしまう。
しかし、一人の作家が1年間に上梓する作品は2〜3作品くらい。量産作家でも多いときで6作品。
しぜん好きな作家は5〜6人選択したくなってくる。
要するに、筆力のある作家の本を読むと「はずれ」が無い。
読む早さ
数多くの本を読む人は読むのが早い。
好きな本を読んでいるから当たり前と言えば当たり前だけど、理由があるらしい。
普段本を読まない人は、「文字」を「音」にして理解するらしい。
頭の中で言葉にしていると言うこと。
説明書を読むときに、言葉にして読む場合などに良くある。
ところが読書家は「文字」を「文字」のまま理解する。
すると、一行を読むときの分割数が違う。要するに目で文字を追うときの一回当たりの文字数が違う。
だから自然と読むのが早くなる。
訓練をすると早く読むことが出来るようになるらしい。
「速読」と言うが、速読が出来てしまうと、本代がいくらあっても足りなくなるので止めましょう。
集中力
本を読にはある程度集中力が必要。
というよりも、自然と集中してしまう。
文字を読む理解力が高まると、仕事や他の事でもかなり役に立つ。
特に年を取るに従って集中出来る時間が短くなるので、非常によい。
そのかわり、集中しているときは他のことが一切耳に入らなくなってしまうけど・・。
本はいつ読む?
ちょっとでもヒマがあれば読む人、乗り物に乗っているとき、寝るとき、様々だけど、私は寝るときは必ず読む。
酒を飲んで酔ったときも、出張に行ったときも、旅行に行ったときも。
一番好きなのは、キャンプに行って芝生に椅子を置いて青空の下でいい空気を吸いながらゆったりと読む。
但し、一緒に行った相手もそういう人間でなければひんしゅくを買ってしまう。
<ミステリー>というジャンル
はっきりしないけど、<純文学>に対して<ミステリー>という分け方をしているのが実際のような気がする。
<推理小説>と今まで言っていたが、最近はあまり言わない。
さだまさしが数年前に「解夏」(げげ)という中編小説を上梓した。
単行本に3〜4作品が載っていましたが、ジャンル分けすると純文学に入るのだと思う。
タ レントがこのような作品を出すのは非常に珍しい事だけれど、どれも素晴らしい作品。
一人の作家がミステリーを書いたり、時代物を書いたり、歴史物を書いたりする場合もあるので、一概にミステリー小説だけが好きだ、と言うことは実際には無いのかもしれない。
単行本と文庫本とノベライズ
単行本は所謂ハードカバーサイズの本。
文庫本はポケットに入るサイズの本。
ノベライスはその中間。
一般的に、最初単行本やノベライズで発行され、数年してから文庫本になる場合が多い。
始めから文庫本で発行される場合も勿論ある。
単行本は文庫本の2倍以上の価格になるのでそうすることがあるようです。
単行本から文庫本になるとき、必ずしもそのまま文庫本になるわけではない。
大抵は加筆修正される。そして、文庫本には必ず巻末に解説が書かれている。
だから文庫本の方が中身がお得?なのだ。安いし・・。
本の値段
を語る
好みの作家について語る
高橋克彦(たかはし かつひこ)
盛岡市在住、デビュー作は「写楽殺人事件」。浮世絵研究では日本の第一人者と言っていいほど造詣が深い。
東北が好きで盛岡に住み、庭には「ストーンサークル」を作ったという徹底振り。
筆力は抜群なものがあり、ストーリーのスケールが大きい。
高橋勝彦に限らないが、作品に登場する主人公や人間のキャラクターを非常に魅力的な人物像として書いている。
短編も長編もこなし、大河ドラマの「炎立つ」や「時宗」は有名だが、歴史物や時代物だけでなく、「伝奇」「推理」と幅が広い。
ワクワクさせ、感動させ、涙する作品が多い、外れのない作品を書く作家。
以前高橋勝彦のファンクラブに入っていた。そのファンクラブ名も「霧神 顕」(キリカミ アキラ)という。
いみじくもインターネットが一般に普及してきたときで、公式ファンクラブとインターネットの管理者との間で「どちらが公式ファンクラブか」、と言うことで問題になり、アンケートが配布された。
正規会員によって判断を下そうということだ。
私はそれに対して、回答をしなかったのだが、それっきりになってしまってわだかまりのようなものが残るだけの結果となってしまった。
高橋勝彦は「玉子」が大好きで「玉子魔神」という異名を持ち、本の中で「玉子茶漬け」というオリジナル料理まで書いている。
大ファンである私は早速作った。(後で実際に再現の様子をアップします)おいしい!
新保裕一(しんぽ ゆういち)
映画化された「ホワイトアウト」が一般的に知られている。
この作家の一作一作にかけるエネルギーは尋常ではない。一作に一年間かけるらしい。
考える時間ではなく、調査に時間をかけるらしい。
「ホワイトアウト」は映画よりも小説の方が断然面白い。私は5回くらいは読んだと思う。
作品名はあえて書かないが、どれを読んでも間違いなく面白い。
読み始めたら一気に最後まで読みたくなるほどワクワクさせ、深さを感じさせる。
この作家も人物のキャラクターが非常に魅力的に書かれている。
これから本を読み始めようという方にはお薦めの作家。
きっと「いい本を読んだ」という満足を得ることが出来る。
高村薫(たかむら かおる)
女流作家では代表的な一人。
どちらかと言えば社会派の作品が多い。
筆力は言うことがない。が、情景などの表現にくどさを感じる。
初心者には難しい作品が多い。
じっくり読む作品が多い。
内田康夫(うちだ やすお)
ご存じ「浅見光彦」シリーズの作家。最近は竹村警部シリーズもドラマで放映されるようになった。
多いときは年に7作品も上梓していたという量産作家。
量産されるからと言って、決して手抜きはされていない。初期から中盤にかけては<旅情もの>のタイトルが多かった。
現在タイトルの付け方は変わってきたが、<旅情もの>に変わりはない。
この作家の面白い所は、プロットを考えないで、執筆を進めるという。
犯人やトリックの解明後から考え、ストーリーを完成させる。
文庫本の巻末には必ず「あとがき」や「解説」があるが、内田康夫作品は「自作解説」と言って、本人が書いている。
それにもあるように、プロットは無いままに書き続ける事が何度も書かれている。
浅見光彦シリーズは20年以上も前から2時間ドラマで放映されているが、やはり原作の方が遙かに面白い。
原作との主人公のギャップがかなり感じられる。
ドラマだと単純なストーリーに感じられるが、小説ではかなり凝った内容になっている。
因みに、竹村警部シリーズは内田作品の初期の頃の作品で、私の記憶では7作品だったような気がするが、ドラマでは14本目の放映になっている。
処女作は「死者の木霊」
浅見光彦ファンクラブがある。
斉藤栄(さいとう さかえ)
二階堂 日美子 日美子シリーズ作品が多い。
二階堂警部シリーズとも言うが、タロット占いの日美子が事件を解決するという、とても読みやすい作品。
初心者向けというわけではないが、気を張らずに読める。
女性ファンが多いのだと思う。
作家については読書好きな人間はそれぞれに思い入れや、作家に対するイメージを強く持っている。
そして、作品の主人公に対するファンもいる。
読書趣味は「ネクラ」と言われるし、趣味として他人からは面白くないイメージがある。
読書趣味の人間は面白くない、理屈っぽそうで付き合いにくいというのだ。
とかく「趣味」というのは他人からは理解されることが難しい。
そんなお金があったらもっと有効に使った方がいい。とか、飲みに行った方がいい、などと愚にも付かないことを言われてしまう。
酒がそんなに高尚な趣味だったとは知らなかったが、好きなものはしょうがない。
毎日寝るときに続きを読むのが楽しみで仕方がないのだ。
だから、バイクでツーリングに行っても、寝るときはテントの中で読んでいた。
本は読んだ方がいい!とか、そんなことは言わなくてもいいのだ。
勉強するつもりで小説を読んだら面白くないに決まっている。
面白い本に出会うと、きっと誰でもまた読みたくなる。
さだまさし
信じられない、といっては大変失礼な話だが、この人の才能は一体どうなっているのか。
「解夏」は中編小説で、先にも書いたが1冊3〜4作品ある中の一つ。
この作品を読んで涙しない人はいないだろう、と思うほどのストーリー。
そして、「解夏」以外も、これに負けないくらい良い作品なのだ。
映画化もされたが、かなり原作に忠実に再現されている。映画も素晴らしいが、文字でも感動出来るので是非お勧めしたい一冊。
作品で涙させるというのは、すごいことだと思う。
文字で感動を伝えることは簡単ではない。
さだまさし-「解夏」
高橋克彦-「炎立つ」
?-「かしこぎ」(たしか韓国の作家)
新保裕一-「ホワイトアウト」
作家は言葉が豊富だ。
全ての作家がそうだとは限らないが、日常では使わないような言葉がたくさん出てくる。
そして、表現力が豊か。
例えば、重苦しい夜を「闇が横たわる」というような表現をする。
映像的な表現になっている。
二人称以上の小説は必ず<会話>が出てくるが、話す感じというのは読み手によってイメージが変わる。
それを別な人称で「苦笑して言った」というような解説で補う。
少なくとも私の場合は、日常の会話の中で言葉が豊富になったと言う感じは全くない。
多少漢字を読めるようになったかも・・、程度のもの。
そして、文章を書くときには役に立っているかもしれない。
手紙は殆ど書くことはないが、仕事上のメールや、何かの申請などでの文章力は多少増しているかもしれない。
だから、HPやこんな文章を書くときも偉そうな書き方になったり、単調で事務的な書き方になってしまう傾向がある。
気になる 人の読んでる本
「読んでる本を見るとどんな人が分かる」と言います。
「本を読む人は勉強家」とか「インテリ」と思われがちです。
実際はそんなことは全くないですね。
読書好きで車好き歴史好き東北好き、廃油ストーブづくりが好き。
歴史好きな人は多いけれど、テリトリーがあって、全域が好きな人はあまりいないかもしれません。
明治以降とか、平安期、1200〜1600年とか、縄文期などそれぞれの好きな時代を持っています。
小説は作家で選ぶ人が多いので、必ずしもミステリーだけしか読まない、と言うこともありません。
ミステリーに付きものの「密室殺人」初めてこの手法を使ったのは誰か?
有名な<カー>(ディクスン・カー=カーター・ディクスン)という人で、、日本では賛否両論があり、私も読みましたが、正直あまり面白いとは言えませんでした。
と言うのも、日本語の翻訳が良くないという評価があります。
原作に対して、複数の翻訳をすることはないようで
翻訳者が変われば評価も変わるかもしれません。
作家の名前は「ペンネーム」が多いのはご存じの通り、
<半村 良>という作家がいますが、名前の由来は
<イーデス・ハンソン>を和訳したもの。
作家ではありませんが、<久石 譲>という作曲家は、
<クインシー・ジョーンズ>から。
カメラの<ミノルタ>は<実る田>から。
<キャノン>は<観音>から。
トヨタの<カムリ>は<冠>から。
だんだん逸れてきました。
ところで、眉山
発行は2004年、はっきり言って何年か前に読んでいたのをすっかり忘れていた。
映画の宣伝を見て、「読んでみたいな」と思っていたら、本があった。?
しかし、記憶がない。
なのでもう一度読む。・・・思い出さない。
しばらく読む内に・・、何となく記憶がある文章が・・。
やはり読んでいたらしい。
一度読んだ本は最初の5行くらいで概要を思い出すんだけど、ストーリーは殆ど思い出せなかった。
で、あらすじ。
主人公は若い女性、と母。物語は離れて暮らす娘から見た母の生き方と人生を徐々に知り始めて疑問が解かれていくという。
母は徳島で居酒屋をやっていた。その母が店を止め、老人ホームへ入ることを決めたのだが、東京で暮らす娘は帰ってきたときにその話を聞く。
母はまもなく体調を崩し入院するが、病名はガンだった。
ある時看護士と若い医者の陰口を聞いてしまう。
元々は気っぷの良い母は、つい一言言ってしまう。
しばらくして若い医者と主人公は恋に落ちるが、母の偉大さが徐々に分かり始める。
母は「献体」を希望していた。
父を知らない娘は母の最期に父の姿を見ることになる。
そして、何故「献体」をするのか理由が分かるときが来る。
「解夏」と同じ病シリーズだが、テーマは「母の生き方」と「献体」。
さだまさしの小説は、風景をイメージしやすい。
地域の特徴を綺麗に表現している。
中学生が読んでも非常に分かりやすく、読みやすいと思う。
小説を映画化したものにはガッカリさせられることが多い。だから映画化されてもまず見ることはない。
しかし、さだまさしの「解夏」だけは見た。それは10年振りくらいに見た映画であり、それが最後に見た映画。
主役は<大沢たかお>と<石田ゆり>適役だった。映画化されるとストーリーがぼけたり、悲しいストーリーなのに恋愛ものになってしまったりする。
ところが、「解夏」は、小説を忠実に映画化しておる。ストーリーがぼけていない。小説を読んだイメージそのままを再現している。
だから非常に感動的。DVDまで買って何度も見てしまう。評価★★★★★
当時、ドラマでもやっていたようだけど、論外。評価に値しない。
同じくさだまさしの「眉山」、これはレンタルDVDで見たが、かなりガッカリ。
観点がずれている。それにミスキャストだ。宮本信子はいいとしても、松嶋菜々子と大沢たかおはいけない。
原作の主役はあくまでも<母>である「宮本信子」なのだ。松嶋菜々子ではない!そして、大沢たかお役の医者は重要ではあるが、目立ってはいけないのだ。
映画では、子供の恋愛中に起きる母の病気と存在感がテーマになってしまっている。重要テーマであるはずの献体がかすんでいる。
死んだと思っていた<父>と母の再会も原作とは大きくかけ離れてしまっている。
観客を呼ぶためのキャストかもしれないが、映画の出来としての評価は★★。
付け加えると、池内淳子がもう少し若ければまさに適役だったと思う。
新保裕一の「ホワイトアウト」織田裕二と松嶋菜々子が主演。ちょっと待て!違うはずだ!
原作では織田裕二の婚約者であるはずの松嶋菜々子はちょい役なのだ。事件に巻き込まれるがあまり前面には出てこないはずだ。
ここでも映画のいやらしさが出ている。観客動員のためのキャストだ。
観点はぼけていないが、原作に比べ軽薄な感じのする不満の残る作品。★★★
司馬遼太郎原作「梟の城」。主役中井貴一。話にならない、問題外。原作台無し。★
映画を見て「いい」と思った人は原作を読んでみると、確実にその数倍は楽しめる。
映画のための脚本かと思ったら原作があったんですね。
妻が面白いというので読んでみました。
著者は<高嶋 哲夫> という、正直知りませんでした。
文学畑の人ではなく、元々は技術畑の人のようです。
早速感想ですが、設定は非常に面白い!
破綻した夫婦、夫はカメラマン、妻は報道記者、小さな子供は妻に引き取られている。
妻は、米軍基地に侵入した韓国人の事件を追っている。
夫は冬山に墜落した何かを写真に撮りその真相を追っている。
二つの別々な事件は実は一つに重なる。
実に鬼気迫るストーリーで、プロットのしっかりした内容です。
小説には「人称」の設定で読みやすかったり、そうでは無くなったりします。
一人称は「私」ですね、二人称は「あなた」、三人称は「彼・彼女」という具合です。
書き手にとって、この人称は重要で、一人称を好む人、三人称を好む人がいます。
小説の場合の「人称」とは、会話の部分ではなく、解説の部分を指します。
いわゆる<視点>の違いです。
このほかに「神視点」という言い方をする場合があります。
作者はすべてを知っているわけで、たとえば、「この三日後、予想だにしなかった事件が起ころうとは誰しも考えもしなかった」
という文章は、作者しか知り得ない内容になるわけで、これをいいます。
「一人称」でかかれていても、主人公の視点だけでなく、様々な人の<視点>でかかれるので「多人称」と言ったりします。
この人称が混ざる作品も少なくありません。一人称になったり、三人称になったりします。
読み手にとっては非常に分かりにくくなります。
<ミッドナイト・イーグル>がそうなります。
作風を理解するまで、非常に読みにくい!
二つの事件の入れ替えが短すぎてうるさい。
同じ表現が繰り返し使われる。
しかし、ストーリーは非常に面白い!
新保裕一の<ホワイト・アウト>を連想させます。
どちらも厳しい冬山、(一方はダムですが)、敵の作戦を食い止める。
筆力は断然<新保裕一>ですが、面白い作家を発見した、という感じです。
<亡国のイージス>の著者。
この作品、映画だけかと思ったら、これまた原作があった。
文庫版で上・下巻500ページの長編作品。
自衛隊の絡むストーリーで、本来この系統は趣味ではないのですが他に読みたい本もなかったので読んでみた。
面白い! 抜群のおもしろさ!!
筆力もなかなかすごい、プロの作品にうまいとか下手とかいえる立場ではないのですが、非常に好きなタイプの文章。
ミッドナイトイーグルはストーリーはすばらしいけど、筆力に不満が残る作品と一線を画す作品。
あまり小説を読まない人は、「小説は分かりにくくて読みにくい」という人がいますが、それは誰が読んでも同じで、所謂筆力がないのです。
うまい文章は誰が読んでも分かり易くて面白いものです。
筆力というのは技巧だけではなく、物語の展開や表現力が合成されたもので、この作品はそれが揃っています。
面白い小説には個性的なキャラクターが登場します。
読み手はそんなキャラクターのファンになってしまうのですが、無口で淡々と行動する主人公は<新保裕一>のそれとよく似ています。
作品数はまだ少ない作家ですが、お勧めの作家の一人に加えたいと思います。
まだ読んでいない多くの作家のすごい作品に出会うことが出来れば幸せになれるかも。
こんな楽しみはいつまでも無くなりそうにありません。
ともあれ、DVDで「亡国のイージス」を見た。
感想。
「やはり」思った通りだ。
期待しないで正解だ。
本のストーリーから言えば、突然「下巻」から始まっている。
この小説の面白さは、登場人物の「ひととなり」「人間関係」は重要なポイントなのだ。
それが殆ど省かれている。
日本映画お得意の「回想シーン」で説明しようとしているが、不十分で分かりにくい。
監督はこのストーリーのどこを表現したかったのかが不明だ。
原作を見たからそう思ってしまう部分もあるのかもしれないが、映画だけ見ると余計に分からないと思う。
スリリングな緊張感がまるで感じられない。
このストーリーのスケールは「ハリウッド」クラスなのだ。
低予算で製作する日本の映画では不可能なのだ。
しかも監督も一流でなければ表現は出来ない。
なにしろ、原作の粗筋しか再現されていない。
あの勇ましいBGMが悲しく聞こえる。
ミスキャストだし、佐藤浩市にはドラマや他の映画でスパムメールと同じくらいうんざりしている。
悲しいくらい感動のない映画、30点。 赤点です。
島田荘司(しまだ そうじ)と言えば、社会派の作品で知られる。
大長編作品が多い。
かなり大雑把に分けて、「吉敷竹史」シリーズと「御手洗潔」シリーズに分けられる。
勿論これら以外も数多くの著作がある。
筆力は言うまでもなく、ストーリーの面白さと奇抜さは抜群で、本当にたっぷりと楽しめる。